まるお【水源のある村】【水源のある村】二ヵ月ほど前、ネコは生死の境をさまよっていた。 私は毎朝起きるといちばんに、ネコの様子を見に行った。 衰えたネコはもう移動することもなく、押入れの定位置を動こうとしない。 水のみと、排泄にいくだけだった。 もうなにも食べようとはせず、体重は以前の四分の一くらいになっていた。 押入れをのぞくと、ネコはいつも奥に横たわっていた。じっと何かを待つ小舟のように、見えた。 小舟はこまかく振動しながら漂っている。 生きて在る気配を確認して、いつも一日がはじまっていた。 * こんなことがあった。 明け方、トイレに行くと、ネコはめずらしくリビングにいた。床にスフィンクス坐りをして、こっちを見ている。 部屋に戻ると、いつのまにか私のふとんに沿って、むこう向きに横たわっていた。 ネコが病気になってから三ヶ月の間、こんなことは一度もなかった。 スープを持って来ようと思ったがやめた。 すぐに<チャンス>を狙うことが、卑しいような気がした。 それに、持ってきてもネコはたぶん、すぐにすーっと、立ち去るだろう。 そうして、私はその無言の中に”目先のことに振り回されるんじゃないよ” と、いさめられているような気がするだろう。 ネコは、静かに横たわっていた。 目を開けているのは、からだのどこかに、苦痛を感じているのかもしれない。 だからといって、アレコレを心配するでもない。 なにも考えずに、ただじっと、その体感、症状のままに、在るだけだ。 そこには、あるひとつの品性が漂っている。 それはわたしに、質の高い精神というものを、考えさせてくれる。 ・・・ヒトもどうぶつも、命の水源はおなじだ。 その水源のあるどこかの村に、ネコはもう、行こうとしているのかもしれない・・・ 私はネコの横に並んで寝た。 それから、むこう向きになっているネコの背中を撫で、片方の手のひらに、その前足を包みながら言った。 「まるちゃん、マルちゃん、まーるチャン」 ネコのやせた背中はごりごりと硬く、前足はうっすら冷えている。 やがてごろごろと喉を鳴らす音が、聞こえてきた。 かすかな湧き水の音のようだった。 それは、明け方の、薄暗い部屋のあちこちを満たすように、だんだんと大きくなっていく。 その音をききながら、私は<水源のあるどこかの村>を、想った。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ジャンル別一覧
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